@adachika192 ぼく的には意訳もなんとも言えないのですよねー。
天皇家が「推しの家系」なのかわかりませんし、苔が生えるくらい先まで栄えてほしい、だと思うので!まあ意訳としてはありかもしれませんが…。
こうやってネタとして消費されて終わりだと少し残念な気持ちです。
あー専門家ですものモヤりますよね。失礼しました。
世代もあるのかも知れませんが(いや個人だろ)、そもそも君が代をこんな風にパラフレーズしてしまう行為自体、痛快な感じがしたのですね。私自身は天皇制廃止派ですが、それとは別にあの辺をリアルに「いじる」のはどうも… 古い表現では「不敬」にあたるような、感覚がどうしても抜けないので。
ただ、「意訳(翻案?)」も、テキストを歴史の文脈から切り離してみれば「君」を「推し」に設定することも無理ではないし、ほかも明らかな誤りはないのでは。
これを機会に、ノキさんの古典解釈等ご開陳いただけたらと夢想するなど
@adachika192 なるほど、そう伺って合点がいきました。
私なんかはあんまり不敬という感じはしなくて、それよりもこんなに大胆に意味をとって良いものか、というところに悩んだのでした。なので、痛快という感じも受けなかったのですよね。
それで、この歌を解釈してみると、やはり「君」の古語における使い方にかんがみて、天皇を指すのではないかと思います。また、これは些細な点ですが、「そこまで行くと……苔生えたりしそう」ではなくて、「苔が生えるまで栄えてほしい」ということだと思います。
とはいえ、おっしゃるとおり翻案として考えれば大きく外していないかもしれません。
私が危惧しているのは、こうやって天皇制と深く関わっている歌を文脈から切り離して、ネタとして消費してしまうことなんです。
元ネタの『古今集』の時点から天皇讃美の歌でしたし、戦前は軍国主義のもとでうたわれた歌でした(実は『古今集』とは歌の文句が違っており、戦前からうたわれているこのバージョンは、薩摩琵琶だかなんだかの文句だったそうです。そこも問題です)。
君が代を始め、一定数の日本の古典文学作品はナショナリズムと極めて深く関わっています。そこを忘れてはいけないと思っています。
長くなり恐縮です。
まさに、現代語訳の答案であれば、「…苔生えたりしそう」のところは減点対象でしょう(「まで」の訳出が不十分)。
「ネタにする」問題も仰る通り、権威を嗤う批判性もあり得るけれど、無邪気を装って歴史背景を隠蔽する作用もある、ということですね。
民主国家としての日本の国歌に「君が代」はそぐわないという批判が常にある中で、一頃「『君』は二人称単数に過ぎず、すなわち国民一人一人の意味である」というアクロバティックな擁護論があったと、記憶しています。さすがに無理。
ただ『古今集』からは改変されているというのは知りませんでした。結局は明治維新に伴う Invented Tradition ということになるのでしょうか。
@adachika192 おっしゃるとおりです。うまいこと面白く紹介しながら、しかしそういった政治的な部分にも目が向くような紹介がしたいものです。
この歌は全く新しく創られたわけではないですが、薩摩という一地域のバリエーションが国歌として選ばれたということは、考えても良いですね。ちょっとこの辺は調べが足りず私も言えることが少ないです。