>>この絵巻物(平治物語絵巻)には壮絶な合戦の様子が描かれていますが、文章(詞書)では詳細に述べられていないにもかかわらず、貴族女性が被害者として、しかも乳房や肌を露わに描かれている場面が多いことから、女性の身体を性的に視たいといった男性的な欲望によって描かれたことが推察できます。
この辺も面白いわねー。
日本の男性官人は、中国の男性官人の書いた小説をよく読んでた。例えば神仙郷に迷い込んでそこで美女と一夜を共にする、みたいな話とかね。
初期の物語文学も恋愛への興味に支えられていると思ってて(伊勢物語とか露骨だね)、結局そういった男性的な欲望から物語文学はスタートした一面はあるんじゃないかなって気がするよ。
>>女性の芸術家が紹介される場合でも、カミーユ・クローデルはロダンの「愛人」とか、池玉瀾(いけのぎょくらん)は池大雅(いけのたいが)の「妻」とか、男性の附属品のように語られるのが定番です。
これ日本の和歌がまさにそうで、紫式部や式子内親王はいいとして、藤原道綱母とか俊成卿女なんてのは、まさに付属品のようだよね。
ここからはうろ覚えで申し訳ないんだけど、平安時代〜鎌倉時代にはあんなにたくさんいた女性歌人が、後の時代にはあんまいなくなっちゃうのはなぜか、という問を立てた人がいたよ。
結論としては、女性歌人は男性歌人と共にしか公共的な場で歌を発表することが許されていなかった、ということみたい。私的な空間ではもちろん女性もたくさん歌を読んでいたんだけど、それが表に出てこず残らなかった、ということだね。
紫式部みたいにお仕えしてるときの名前(伺候名)を持つ人や式子内親王のような皇族は、ある程度自立して公的な場で歌を発表できた。しかし、「〜女」「〜母」としか認識されない人たちは公的空間では発表の機会が与えられなかったんだね。男性たちが主催するなにかのイベントのときにしか、発表が許されてなかった。
そういったイベント自体が減ったので、結果発表の機会もなくなった、ということだね。